メンタルヤバかったここ数年の話

「見ざる、言わざる、聞かざる」

大昔の人はいい言葉を残したものだ。その重さを今にしてようやく理解しつつある。

似たような内容の記事を1年前に「Note」にもまとめましたが、そちらは、感情的な文書の羅列で全く整理されてないので、改めてここ2年ばかりであったことをふりかえります。

さて昨日の日記で、AI魔女狩りに目をつけれられた話をしたと思います。

そんな感じで、今も一部の気持ちの悪い人間から目を付けられている私ですが、その兆候は2年以上前からありました。私が描いた戦艦の絵に「AI」ですか?という、おそらく他意はない素朴な質問に、「AIじゃねーよ!(意訳)」とややキレ気味に反応した私。そのポストはバズりました…。


この辺りから、どうもSNS上のAI戦争の渦中に巻き込まれたようです。そのころは実際AIがどのようなものかと試したりもしたものですが…。後程、そうした中立的なムーブはSNS上では悪と断定されました。

その年は特にひどかった…。AIの是非はともかく、AI使用疑惑をかけられた絵描きや何かにつけそれらに言及した人間が炎上させられ、それに乗っかった愉快犯や驚き屋や対立煽り連中が、相手がベテランの巨匠であれ、政治家であれ、傍若無人甚だしく失礼極まりない下劣な言動とともにリプライや引用で血の一滴すら残さぬ勢いでピラニアのように齧りつく。相手が骨になってもまだ喰らいつく。酷い世界だ。そして、自分の相互フォロワーなどもそれに燃料を注ぎ餌を与え同調する。なんなんだここは?

さらに同年の秋、私が描いたVチューバ―の絵に、AIですか?と明らかに疑っているであろう人物からのリプライが。当然ブロックしてスルーしました。この辺りからさらにキナ臭くなりました。正直に言って、昨年、一昨年の私は非常にメンタルが良くなかった。SNSの弊害でしょうね。AI絡みで意見はわかれ、トレンドは炎上した話題で溢れ、絵描き同士でもギスギスドロドロという有様。客観的なデータや情報よりもオカルトや感情論が優先され、それを鵜呑みにしたネットろくでなしが正義を棍棒に暴れまわる。今まででは考えられないような暴言が飛び交い、そういう騒動に巻き込まれまいと無視を決めれば、遠回しに「卑怯者」というレッテルを貼りだすものまで…。

私はそもそもネットのそういうムーブが嫌いだ。どういう立場が…とかポジションは関係ない。とにかく嫌いだ。東北震災があったころから既に嫌いだ。

そのときさっさとSNSを辞めりゃよかった。異変に気が付いた人は皆鍵をかけ、あるいはSNSから距離を置いた。ヤバい言動の人間を、たとえそれが長年の付き合いであろうとも軒並みフォロー解除して疎遠になるべきだった。優柔不断で自衛できなかったのは私の落ち度だ。いろいろな意見を取り入れてマクロでフラットな視野で見ようなんて考えてた自分を恥じた。それこそ傲慢だった。

昨年2月に私はついにキレちまいました。

ちょうど、その時期私が非常勤講師をして仕事をしている専門学校の卒業審査会がありました。学生たちは、来る将来に向けて、自分らしく、かつ学校で学んだことを活かし、渾身の作品を作り上げ、私たち講師は彼らを笑顔と激励を持って送り出す。夢に向けて創作に向き合うその姿に中年に差し掛かってる私は勇気づけられたのでした(だから講師の仕事やってるんです)。それはもう、あまりに嬉しい出来事でした。

…それと比べてなんだ…SNS上の体たらくは…
私は言った。

「そんなことでインプレ稼いでないで絵を描け!とくに講座を受講して絵を勉強したつもりでいるような奴!」

大炎上!!!

ふいに正論を言うのが私の悪い癖だ。それはもう随所から暴言を浴びせられ、ありとあらゆる過激な言動の連中から軒並みブロックされ(いやむしろそれは助かる)、AI絵師やらなにやらとレッテルを貼られ、画力やら作風でもめちゃくちゃにいわれ、ネット弁護士からは同情され、私のメンタルがヤバいと気が付いた相互フォロワーからは軒並みDMで心配され、職場でも心配され…。本気で法的措置も検討した。叩いていいと判断した人間への容赦のなさを私が味わうとは…。

それから、SNSとの付き合いを改めました。私が目指すのは昔のような閉じたインターネットだ。話の通じない人間と関わる価値などない。私は一切かかわらないと声明を出した。それについても文句は言われた。でも、もう知らん。私は何も知らん。私を巻き込むな。

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